空間の美

友人や息子が書道をしているので、ときどき書にふれる機会がありました。

書の事は全くわかりません。
が、墨の黒と紙の白。
金箔が散らしてあったりもして。
筆の流れ。とめ、はね!
とても美しい平面空間だなあ、と思います。

俗物の私は、書を見ても ついつい
「お金出してでも買いたい。」
「もしもいただいたら、喜んで飾る。」
「もしもいただいたら、仕方なく飾る。」
「よそのお宅にあれば、あら素敵と思う。」
「ただでも不要。」
と、分類してしまいます。

心理的には、魅了、強欲、不遜、ひとごと、傲慢といったところでしょうか。
悪い癖です。

なんとなくですが、気の合う書、気の合わない書があります。
友人と息子の書は大好きです。(ひいきもあるのかな?)
見る日の体調や心情にもよるのでしょうか?
絵画も美術作品も家なんかも同様です。

広島の県立美術館の収蔵品に立体の彫刻というのか、日本の方の作品あり
疲れた時にときどき見に行っていました。

なんのことない、山道をお坊さんが登って行く作品です。
上る山道は、少しずつ細く険しくなっていく一筋の道で
お坊さんには道連れもいません。

が、よく作品を見ると
山の上の方にもう一人、山道を行く人が小さくあります。

それだけの作品です。

初めて見た時の心情がぴったりだったのでしょう。
友達のような気がして、見るたびに勇気が出るし
『買いたい。』と思ってしまいます(笑)

道行く私(お坊さんに投影している)と、先を行く人との空間が”美”なんですよ。
黙って観ながら、ふといろいろなことを考えたりします。

といっても、
『今の私の視点、空から見るって"神"? 神様ってこんな感じなのかしら?』
など、ひたすらくだらない事ばかりが浮かびます。


ところで、私の祖父は守三(もりそう)という人で、70歳で亡くなりました。
お墓石に、”守三七十歳”と書いてあるのですが、初めて見た人は必ず
「守(まもる) 三七〇歳。」
と、読みます。

守と三の間隔が気もち広めで、三と七の間隔が狭めだから。

だれが370年も生きられますか?

書いたお墓業者さんも、痛恨の墓石ではないかと思うのですが
どうでしょう?
見るたびに”空間の用”を感じます。


お墓参りする度に、それを見てはつい笑ってしまいます。
墓参りになのに、妙に明るい気持ち。
『私も370年生きなくちゃ。』と思います。
その点では、元気をくれるありがたい書 とも言えます。


亡くなった祖父は、さっぱりした良いおじいちゃんでした。
枕元にはいつも、キリコの水差しとグラス。そして龍角散が置いてありました。
天井近くにシカの角が飾ってあったことも覚えています。
(昔の家って不思議ですね。瓢箪とか・・・。)

その隣には、祖母の名前 享年97歳。
めっちゃ長生きでした。
本人も「実は わて 死ぬ気しませんねん。」と、こっそり言っていました。

この祖母も面白い人でしたが、その話はいずれまた、
するかしないか、
未定。









Commented at 2014-09-02 09:27 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Taseirap at 2014-09-02 10:17
コメントありがとうございます。
息子の書道は、言っても・・・道楽?

でも、趣味があるのは少し羨ましいと、わたしも思っています。

メキシコで何か楽しい趣味に出会えるとうれしいのですが、いまは食べ物しか見つかりません。
しかも、相変わらず食べるだけ。日本に居た時と一緒だわ。

日本の家族の健康が気になりますが、むこうはこちらを心配していて(笑)
お互いさまで、それぞれが気を付けることにしましょうかと。

長生きしてほしいといつも思っています。
Commented by tmyooon at 2014-09-02 20:58 x
それで言うとウチの父は八八◯歳?
次回墓参りの楽しみが増えました。
おばあちゃまのお話、楽しみにしてまーす♪
Commented by Taseirap at 2014-09-02 22:06
はーい。
特にご要望のないことをくどくど述べるのは得意なので、
またいつか(´∇`)

数字の入った名前が昭和の時代は多かったですよね。
八は縁起が良い数字。
病気で亡くなる子どもが多い時代は、親の名付けも謙虚さがあった気がします。
by Taseirap | 2014-09-02 07:17 | 日々の暮らし | Comments(4)

メキシコと日本の暮らし


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