清のような

夏目漱石の『坊ちゃん』に、清(きよ)という乳母が
出てくる。
初めて読んだときは、まだ若かったから
『盲信的で情緒型の女性だなぁ。』
としか思わなかった。

年齢を重ねて、自分が母親になり、
実際に子育てしてみると、
子どもをありのままに愛することが、
簡単なようでいて、
実はとても難しい事に気がつく。

子育ての トラブルなり、課題なりに
ぶつかったときに、
子どもの将来を考えて、
最善のサポート、叱責、応援を
したつもりだったけれど、
果たして本当にそれが良かったのか?

もっと違う 親としての在り方が
あったのではなかろうか?

もっと違う在り方は、私にとっては、
清。

"他人を信じて疑わない"
というのは、究極のギャンブル。
自分自身でさえ、明日はどうなるか未定なのに、
他人の可能性を信じる。
つまり、愛する。

遠藤周作の『沈黙』が、映画になったけれど、
愛することは信じることで、
信仰にも似ている。
ギブバックを求めず、ひたすら他者の幸せを祈る。

年齢を重ねるにつれ、清への尊敬が深まっていく。

誰かに盲信的に愛される経験が、
長い人生を生きる力、子どもの自信を作る。
やがて成長して、
自分で自分にOKを出せるようになるまでは、
それが支えになる。

また、清の凄みは、
「いまの坊っちゃんで良い。」
と言いながらも、
「やがては、すごい人になる。」
と、明るい未来を提示していること。

達成目標掲示とも、肉親的プレッシャーとも言える。

性格的には合格。
「良いご気性。」と誉めながらも、
社会的には、
"坊っちゃん、これからだっせ" 的
発破をかけることも忘れない。

(でも、坊っちゃんは、薄情にも忘れて暮らしたりもする。)


親にとって、子育ては責任の重い仕事。

子どもの心と身体と頭脳を守り育てながら、
自分達が所属する社会の常識やルールを
教えないといけない。
甘い顔ばかりしていては、育て損なうタイプの子どももいる。

子育てには、押したり 引いたり、
一本調子ではなく、高度な
コミュニケーション能力が必要。
発達段階に合わせた、優しさと厳しさがいる。

けれども、
そんな高度なアレコレを吹っ飛ばして、
黙って世話をやき、ひたすらに信じて待つ
清のような存在。

愛の光で、迷った子どもを
後ろから照らすようなパワフルな人。

子どもの学校生活が、
ややこしく、複雑化した時に
燦然と光る

ような気がする。











『清のようなお母さん』でも良いけれど、
『親』以外で、
『清てきな人』が居てくれたら、助かる子どもは大勢いる。

おそらく、
祖母、
祖父、叔母、叔父、
習い事の先生、近所のおばちゃん
のポジション。

斜めの関係。

可能なら、
子どもの斜め下に配置してもらえたら、
子どもとお母さんは
とても助かる。

by Taseirap | 2017-02-09 07:30 | こどもたち | Comments(0)

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