日奈久温泉の歴史
2018年 04月 11日
熊本県の日奈久温泉は、600年前に開いたそうです。
ばんぺいゆ湯
2018-600=1418
1462年が応仁の乱だから、室町時代。
の、南北朝時代あたりかな?
資料によると、
肥後守に命ぜられた甲斐重村(尊氏方)と
菊池武重(南朝方)が戦い、
重村が敗北。
部下の浜田右近は傷を負い、
日奈久の近くへ辿りつく。
右近は日奈久へ移り住み、やがて村の娘と結婚し、
子・六郎左衛門に恵まれる。
六郎は父の刀傷の平癒を、安芸の厳島明神に祈り続け、
満願の日、神のお告げがある。
お告げに従って海の浅瀬を掘ると
温泉が湧き出した。
時に応永十六年(1409)。
それが、今から約六百年前のこと。
お告げで発見された温泉で刀傷が治ったので、
日奈久の温泉は湯治の客が 日増しに多くなり、
まちには人が集まり始め、
「神様をお祀りしよう」と、
市杵島姫を祀る祠(弁天社)が建立される。
秀吉が日奈久温泉を通った頃、温泉は
干潟に湧いている程度だった。
やがて、天下が平定され、江戸時代になると、
日奈久の海岸沿いは参勤道の『薩摩街道』として整っていく。
温泉は島津公も参勤往復の憩いの湯として愛用。
細川藩は明暦三年(1657年)温泉浴室を大改築し、
大規模な藩営の温泉場が出現。
藩主が入浴する「御前湯」、
士分のための「お次ぎの湯」、
平民のための「平湯」
の三つの仕切りをつけ身分に別けた浴槽。
幾度も大火、復興を繰り返し、
明治になって藩の直営を離れる。
御前湯、お次ぎの湯は有料、平湯は無料となる。
明治に入ると宿も増え、名士たちも
「どこよりも日奈久」とやって来る。
門司八代間に鉄道ができ、日奈久港には定期船が着き、
人力車や乗合馬車が往来。
活気ある日奈久温泉には当時十五軒ほどの宿があった。
放浪の俳人、種田山頭火が訪れ、
この地を絶賛したのは昭和五年(1930年)のこと。
その後日中戦争(昭和十二年~)時でも
旅館は陸軍病院の保養所となり、愛され続けた。
ー だそうです。
泉質はアルカリ性単純泉。
関節痛、神経痛、冷え性に良いそうです。
「日奈久は、昔は栄えたところ。」
と、地元の人に聞いたのには、なるほど
こんな歴史があったわけですね。
金波楼は、国の有形文化財で、明治43年創業。
趣きがあります。
立ち寄り入浴が午後3時半からなので、
時間が合わずまたのお楽しみに。
路地が楽しい日奈久温泉です。
by Taseirap
| 2018-04-11 07:30
| 熊本県
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