まだ少し早いのですが、リタイア後の生活のこと。
雑誌を読んでいたら、
『老後破産しないことが、一番の子ども孝行である。』
なるほど。
そうか~(;・∀・)
気を付けないと!
そのためには、
『老後人生の指針を持て。』
『人生の最後には、2回の引っ越しが残っている。』
まずは、
医療機関や駅に近いところへの引っ越し。
そして、
老人介護施設か病院への引っ越し。
この2回の引っ越し費用が出せない人が多いそうです。
なぜなら、
『最期は子どもがなんとかしてくれる。』
と思っていたから。
『子世帯の応援をこれだけしたのだから、
自分は絶対大丈夫。』
人生に絶対はない。
だから、50-70代で
『郊外型2世帯住宅で、子世帯の応援をしてはいけない。』
なぜなら、日々の冠婚葬祭に雑費、
家のランニングコスト、たまの外食など
子ども世帯への親の出費負担が続くから。
対して得るものは、孫の可愛さを味わうこと と
日常のぼんやりとした安心感。
しかし、実際に倒れたりすると、
子世帯には子世帯の暮らしがあるので、
看護はできない。
これまでの貢献なんて、カウントされない。
親は、老後こそ自立しないといけない。
終の棲家のために、それまで住んでいた住宅は処分。
そのお金で、自分で最期までがんばれ。
成人後見人制度や、老後の一切合財を頼めるような
サービス業も追々充実してくるだろう。
子孫に美田を残さず。
人生も財産も1代ポッキリ。
下手に子ども世帯と暮らすと、居住権など
ややこしくなって、家屋を売りたくても売れない。
また、他の子どもとの財産分与で揉める。
子どもとは つかず離れずで。
…だそうです。
"郊外型2世帯住宅で幸せな老後"は、ダメなのか。
う~ん。
夢がひとつ消える。
ぼんやりとした安心感を幸せと呼ぶんじゃなかったの?
老後のお金のシビアさが、愛情という感情の霧の
なかから浮かび上がり、寂しい。
それでも。
子どもの近くで応援してやりたいのが親心。
身体が動くうちは、少しは協力してやりたい。
干渉ではないのよ。
これは応援です(と言い張る)。
(同居まではしたくないけど。)
反して、子どもの側の気持ちは、
『片付けたい。』
自分の心が落ち着くところに、親を置いときたい。
天国じゃないでしょうね?
90歳くらいまで我慢してほしいわ。
うちの息子たち。
良い子たちですが、自分のことで精一杯。
親?いますけど、何か?…な感じでしょう。
きっちり心は離れている。
なんとか関心を引くには、お金が足りないし。
アンケートによると、下流老人は宝くじをよく買うらしい。
でも、買わないと当たらないし。
親の幸せは、子どものそば。
どんなに薄情な子でも、近くで見たい。
子どもの幸せは、遠くの親。
この違いが永遠の片想いを生んでしまう。
なかには相思相愛の親子もおられるけれど、
それはそれで…。
いえ、羨ましい限りです。
他人のことに口出しは無用。
自分のことをがんばろっと (*´∇`*)